城・歴史

新発田城の縄張り!特徴はこちらです

投稿日:2017年5月28日 更新日:

「むむむ。」

「縄張りは、一体どうしたら良いものか・・・。」

新発田城の縄張り(城内の建物などの配置)作りです。

軍学者である長井清佐衛門と葛西外記(げき)が苦心して計画を立てました。

そして完成した縄張りは、新発田城周辺の地形を生かしたものとなりました。

それは一体どんな縄張りなのでしょうか。

それでは早速、

  • 新発田城!縄張りの特徴は?
  • 縄張りの外側も特徴的!
  • 縄張りを作ったのがキツネ!?

という順で解説していきたいと思います。

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新発田城!縄張りの特徴は?

城の建物やお堀などの配置、縄張り。

新発田城の縄張りは、自然の利を生かして作られています

縄張りの特徴!それは湿地帯の活用

新発田城の防衛の特徴は、

南側をのぞく3方向が湿地帯

という条件を生かしたことにあります。

湿地帯のぬかるみを通っては、進軍できません。

この湿地では、人間が腰まで埋まったことも多かったといいます。

攻められにくい土地に築城したのですね。

そのため、新発田城は南方向の防衛だけに集中できる環境にあったのです。

新発田城の縄張り

新発田城の縄張りを見てみましょう。

南側を守れ!

南側を重点的に守ることが特徴的な、新発田城の縄張り。

まず、本丸の東西の防備は湿地帯を生かして薄く、北側には古丸がありました。

簡単な守備でも、自然の力が城の防備の強い味方となっていました。

そして、全力で守備に集中した南側。

本丸の外側に二の丸を、そのさらに外側を三の丸で2重に防御しています。

そのため、新発田城の縄張りは、ひょうたん形になっているのです。

三の丸が南方向に突き出した特徴的な形なんですよ。

外堀は新発田川

新発田城の築城者であり、初代の城主である溝口秀勝。

秀勝は、信長や秀吉の城作りを手伝い、築城の手法を学んでいました。

その経験を生かし、新発田川を掘削して新発田城の外堀としました。

新発田城の防御態勢

新発田城は新発田藩の中心でした。

政治面、軍事面、経済面を指揮する司令塔であったのです。

城門は10以上あり、番所と呼ばれる警備施設も多く設けられ、城は徹底的に守られていました。

下の写真は本丸を守る、表門を本丸側(内側)から撮ったものです。

表門の上には櫓(やぐら)があり、外に向かって矢を放てるようになています。

櫓の真下も防御できるように、石落としも設置されていました。

夜の新発田城内は、提灯を持たずに歩くことが禁止されていたんですよ。

縄張りの外側も特徴的!

新発田城には、縄張りの外側にも防御の特徴がありました。

キーポイントは、交通の要所です。

城外から防衛せよ!

新発田藩の外から新発田城に続く街道は、五十公野(いじみの)という土地を全て通るようになっていました。

五十公野は新発田城の南東方向に位置し、当時の交通の要所だったのです。

つまり、新発田城の防御の特徴は、

「五十公野~新発田城を守れ!」

ということが大きなポイントとなっていたのです。

五十公野は、先程紹介した石垣の石材産出地でもあります。

五十公野~新発田城の防御

五十公野(いじみの)から新発田城への街道の、実際の防御を紹介します。

①直角に曲がる道

五十公野から城の入り口、大手門へと続くメイン街道は、何度も直角に曲がりくねるように設計されていました。

新発田城に進みにくくするためです。

②並木の活用

新発田城に続く街道には、杉並木が。

この並木、何のためだと思いますか?

この杉並木、有事の際は切り倒してしまいます。

倒れた杉が道をふさぎ、外部からの侵入を防いでくれるのです。

新発田城の本丸の門(表門)が木造りで、敵の侵入を阻むために切り落とせるようにしていたのと同じ理屈です。

③鉄砲足軽の配備

新発田城に続く街道脇には、鉄砲の使い手(鉄砲足軽)を配備していました。

下の画像は、足軽たちの長屋です。

この足軽長屋、国の重要文化財に指定されているんですよ。

④新発田城を守る「真木御山」

新発田城を防御するための要害として、城の南にある真木山の樹木を伐採することを厳禁としました。

そのため、真木山は新発田城を守る真木御山と呼ばれていました。

縄張りを作ったのがキツネ!?

軍学者の長井清左衛門らが新発田城の縄張りづくりに苦心してきた時。

そこにヒントを与える(キツネ)がやってきた、という伝説があります。

新発田城の別名は「キツネ尾びきの城」

雪の上に姿を現し、しっぽを垂らした

そして、この狐は

「こんな風に城を作ろうよ。」

という具合に新発田城の計画図(縄張り)を示してくれたのです。

狐は清左衛門の前を走り回りました。

そして自分の尾を雪の上で引きまわし、新発田城の縄張りを書いた、というんですね。

この伝説により、新発田城は狐尾曳ノ城(きつねおびきのしろ)と呼ばれているんですよ。

新発田城は「舟形城」とも呼ばれる

新発田城の別名には、舟形城というのもあります。

本丸の形が船を連想させるため、舟形城というのが一般的のようですね。

ただ、新発田城のガイドさんのお話は少し違いました。

「湿原のなかに、ポッカリと盛り上がっている場所があるぞ!」

「あの場所をお殿様が住む、本丸としよう。」

ということから、本丸の場所が決まったそうです。

湿原の中に浮かぶ船のような場所。

その本丸の場所から舟形城と呼ばれるようになったのだ、ということです。

いにしえの会話をしのび、ロマンを感じます。

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