「きれいな石垣だなぁ・・・。」
新発田城の石垣、きれいです。
石積みの技術が全国でもトップクラスという評価も受けています。
さっそく、新発田城の石垣にまつわる歴史を見ていきましょう。
スポンサーリンク
新発田城の石垣の技術
新発田城の石垣に使われた石は、新発田川を使って運ばれました。
古寺石と呼ばれる石です。
古寺石は新発田城のすぐ近くの五十公野(いじみの)山で採石された、硬い粗粒の玄武岩です。
山の近くを流れる新発田川で城まで運んできました。
新発田城の石垣が崩壊!
新発田城の築城当時の石垣は、乱積みでした。
様々なサイズの石を、規則性なく積み上げた形だったのです。
この石垣、崩れてしまいました。
寛文9年(1669年)5月に大地震が発生。
新発田城初期の石垣は、ほとんどが崩壊したのです。
新発田藩は江戸から石工職人を呼び寄せ、五十公野(いじみの)産の石で石垣を積み直しました。
石垣の技術
積み直した石垣は、とても美しい出来になっています。
その距離350mです。
新発田城の石垣で注目すべき技術。
それは、切込み接ぎ布積み(きりこみはぎぬのづみ)と呼ばれる積み方です。
切込み接ぎという技術と布積みという技術の複合させています。
まず切込み接ぎとは、石材をキッチリと四角に形を整えピッタリとくっつけること。
そして布積みとは、横方向に層が出来る積み方のことです。
他の城では、普通は目立つポイントだけで実施する切込み接ぎ布積み。
これの積み方を石垣全体でしている新発田城は大したものです。
算木積みも
加えて、石垣の角の部分は算木積み(さんぎづみ)という、
直方体の石材を互い違いに組んだ
強度アップの積み方を採用。
この算木積みも見ごたえがありました。
新発田城の石垣を補強せよ!
新発田城の石垣は、私たちの時代、平成になってからも補強されています。
新発田城は湿地帯に建てられた城です。
ぬかるんだ地盤は、他国からの進軍を阻む機能を持っていました。
その反面、地盤がやわらかい新発田城は、建物の基礎となる石垣が変形しやすかったのです。
石垣の変形と補強
新発田城の石垣の変形は2つのポイントが確認されました。
ポイントが明確になれば、補強の対策もしやすいですね。
石垣の変形
まず、はらみ出しという現象です。
新発田城の石垣は、真ん中の高さの部分が外側に膨らんできてました。
「石垣のお腹がはらみ出した」という感じです。
加えて、石垣の下の部分が外側に飛び出してきていました。
このような状態だと、地滑りのように石垣が流れ出てしまい、崩壊していく恐れがありました。
これは、石垣を補強しなくてはいけません。
石垣を補強せよ!
そこで新発田市は、石垣の根元部分に2列の松の杭を打ち込みました。
長さは5m、間隔は80㎝です。
松の杭どうしはつなぎ合わされ、石垣が外側に流れ出るのを食い止める柵としました。
加えて、15㎝くらいの石を石垣の足元に敷き詰め、石垣の地盤も強固なものとしたのです。
次の世代に伝えるため、美しい石垣を維持できればいいな、と思います。