天守台についての疑問を解決しましょう。
さっそくお話しをはじめたいと思います!
この記事の順番は、
- 天守台とは天守閣?
- 天守台とは権威を示す建築物
- 江戸城の天守台
という流れになっています。
スポンサーリンク
天守台とは天守閣?
「天守台とは、いったい何のことなんだろう?」
「天守台とは、天守閣そのもののこと?」
・・・よく分かりませんよね。
じつは、天守台とは天守閣の基礎となる部分のことを言うのです。
天守閣の下には石垣があることが多いですね。
その石垣のことを天守台と呼ぶのです。
東日本では石材の産地が少なかったので、石垣ではなく土塁の天守台も多くあります。
※土塁=土でできた砦(とりで)。ここでは「天守閣の基礎部分が土でできている」ということです。
天守台とは権威を示す建築物
天守台とは、
城主が権威を示す建築物
と言うことができます。
ただし「天守閣が無理なら、せめて天守台だけでも!」というものです。
そこには、ちょっとしたストーリーがあるのです。
天守閣で権威を示した大名たち
まず、天守閣は軍事的な目的よりも、お城のシンボルとなることが一番の目的でした。
城主の権威を世に知らしめ、政治的な安定を図ったのです。
戦国時代の大名同士の勢力地図は、混沌とした状態でした。
そのため城主たちは、豪快な天守閣を作ることによって自らの力を他の大名たちに知らしめたのです。
徳川幕府が強力になると
ところが、江戸時代も安定期に入ると状況は変わります。
徳川幕府の力は絶対で、将軍の権力には大名たちは歯が立ちません。
そして、
「天守閣を作ることは、幕府に逆らう意思表示をすること。」
となります。
そのため、天守台までは作ったものの、天守閣が建てられず、天守台だけが残ることがありました。
天守台とは権威を示すもの
天守台の上に天守閣が乗っていないお城。
そんなお城を意図的に築く場合もありました。
どうしてでしょうか?
その理由は、
「天守閣の代わりに天守台だけで城主の権威を示す」
ということです。
高い石垣を積み上げて天守台を作るということは、並大抵のことではありません。
- 石切場から切り出した石材を城まで運ぶ
- 土塁を作る
- その上に石垣を積み上げる
当時としても、現在でさえも大変な土木作業です。
天守台を作るだけでも、経済力と権力がなければ出来ないことであったのです。
天守台は防御台にもなる
お城の防御上の理由で天守台だけを作り、天守閣を乗せなかったことも。
じつは、天守閣は相手の攻撃目標となりやすいのです。
天守閣は物見やぐらの機能を持つ反面、その目立つ高さは相手からの目標物になるのです。
◆天守台で城を守る!
天守閣を築かなくても、天守台があれば 天守台の上から相手を攻撃することが可能でした。
攻防の場面では、高い場所にいる方が絶対的に有利です。
その観点からも、天守台があると相手に対して優位となれるのです。
江戸城の天守台
天守台だけのお城として、一番有名なのは江戸城です。
江戸城の天守閣は、
徳川家康
二代目将軍秀忠
三代目将軍家光
この三代にわたって新しく作られました。
天守閣をもって、将軍が変わったということを世に知らしめたのです。
再建されなかった天守閣
1657年、明暦の大火によって江戸城の天守閣は無くなってしまいます。
その後、天守閣が再建されることはありませんでした。
再建計画を練りあげ、新しい天守閣の図面は作られました。
しかし、徳川政権が安泰しているなか、
「将軍の権威をいまさらアピールしなくても・・・。」
という意見が勝利。
莫大な費用を使ってまでも天守閣を作る意味はない、そう判断されたのです。
そして、天守台だけが現在まで遺構として残されています。
天守台と雷(かみなり)
江戸城に限らず、天守閣があった場合も天守台だけが残っている例が多くあります。
これは、お城の敷地のなかで天守閣が一番高い建物だったことが理由でした。
高層建築物である天守閣は、雷に直撃されやすかったのです。
雷にあたってしまった天守閣は、天守台を残して焼失してしまうのでした。
この大坂城の天守閣も、1665年に雷によって無くなってしまいました。
現在天守台の上にそびえ立つ天守閣は1931年に復興されたものです。