「曲輪って、なんだろう?」
「曲輪とは、どんな意味なの?」
お城のことを調べていると、曲輪(くるわ)という言葉がでてきます。
この曲輪とは、一体どんなものなのでしょうか。
今回の記事では、
- 曲輪の意味!それは城の1区画
- 曲輪と城の変化
- 曲輪の配置
- 曲輪が「縄張り」を作る
という順で解説していこうと思います。
それでは、さっそく曲輪について見ていきましょう!
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曲輪の意味!それは城の1区画
曲輪(くるわ)は、「郭」「廓」とも表記されます。
この曲輪とは、城の1区画を意味するものなのです。
曲輪の意味
曲輪の意味とはなにか?
曲輪とは城の1つの区画のことを意味します。
城を設計する時、この曲輪の配置がキーポイントとななりました。
例えば、「本丸」「二の丸」「三の丸」というような曲輪(区画)が集まることで、城が出来上がるのです。
曲輪で本丸を守れ!
お城のなかで、最も大事な曲輪(区画)は本丸でした。
なにしろ、本丸という曲輪には
- 城主が住む御殿
- 天守閣
- 戦いのときの総本部
- 領地の政治を行う政庁
が集まっていたのです。
本丸は、いわば「その領国の中枢」が集まっている区画だったのです。
そのため、本丸を守るために他の曲輪を配置することに意味があったのです。
曲輪と城壁
曲輪の基本は本丸を囲むことです。
領国の中心である城。
その城内でも、さらに重要機能が集中している本丸を守るのです。
そのため、城の設計者たちは「曲輪の配置」に頭を悩ませていました。
曲輪の配置で防御せよ!
世界の城壁は、城を中心とした市街地を高い石造りの壁で取り囲んでいます。
しかし、世界のお城とは違い、日本には高い城壁がありません。
そのため日本では、城の中核を守ろうと、曲輪の配置を全力で考え抜くことに意味がありました。
城壁を曲輪でカバー
日本は火山が多かったため、硬い石が多く岩石の加工は大変でした。
そのため、石材の大量生産が難しかったのです。
しかも、地震大国でもある日本。
高い城壁を築いても、地震で崩れてしまうリスクが高いのです。
いつ崩れるか解らない壁を作ることは、とても危険であり労力が無駄になってしまいます。
曲輪と城の変化
戦国時代の少し前、南北朝時代には、「山が持つ天然の動きにくさ」をお城の防御としていました。
山に城を築き、武士たちは拠点を山の上に、上にと移動させていったのです。
山に作られた曲輪(くるわ)は小さなものでした。
斜面に平らな面を作る訳ですからね。
曲輪と城が大きくなった
それが戦国時代に入ると・・・。
地域を制圧し、大きな領土を持つ戦国大名が増えてきます。
戦国大名の家臣は増加。
さらに、「周りに商工業者も起きたい」という思いもでてきました。
山城では狭かった
山の奥深くにあった城では手狭になってきた戦国大名。
生活も不便でした。
そのため、城はだんだんと平地に近い場所に築かれるようになっていきます。
こうして曲輪と城の規模は大きくなっていったのです。
輪郭式の曲輪
平地で築城する時、曲輪の配置の基本は輪郭式(りんかくしき)と呼ばれるものです。
本丸の外側を二の丸、三の丸で囲う形の縄張りです。
曲輪の形
この曲輪という言葉は
「曲輪が丸い形をしていると城の守備に有利だ」
という考えから生まれたようです。
四角よりも円のほうが外郭の線が短く、守備の効率が良いのです。
ところが、外郭が曲線になると、
- 石垣が築きにくい
- 区切りの上に建物や塀が建てにくい
という難点があります。
そのため、実際の曲輪は四角形になっていることが殆どです。
曲輪の配置
城の曲輪(くるわ)は、一番内側が内曲輪(内郭部)。
そして外側に向かって中曲輪(中郭部)、外曲輪(外郭部)に分けて考えることができます。
※城によって曲輪の配置は様々ですが、ざっくりとした基礎的な曲輪の考え方です。
内郭部と中郭部
まず、内郭部と中郭部から見ていきましょう。
内曲輪
城の内曲輪(内郭部)は本丸をメインとして、二の丸、三の丸までの曲輪群です。
本丸を二の丸で囲い、さらにその外側を同心円状に三の丸で囲うのです。
本丸の御殿に城主が住んで政治拠点となり、二の丸は第二拠点。
三の丸には重臣たちが暮らす屋敷があります。
馬屋、蔵なども設置されたりしました。
中曲輪
中曲輪(中郭部)は内曲輪を外側から囲っていて、中級家臣たちの屋敷が並びます。
曲輪の外郭部
次に、外郭部です。
外曲輪
さらに外側の外曲輪では下級家臣たちと町人が暮らし、城下町と呼ばれました。
この外曲輪も、お堀or土塁や石垣で囲まれていると、城の一部として総構えと呼ばれました。
城下町には守備機能が!
実は、城下町も城を守る曲輪として機能していました。
城下町の外からは城主の権威のシンボルとして威風堂々と鎮座する天守閣。
この天守閣は城下町に入ると、その建物によって見えなくなるようにされていました。
城の中心がどちらの方向あるのか、解らなくなりますね。
また、城下町には真っすぐな道が少ないのです。
丁字型に折れ曲がった道は、城に軍を近づけにくくします。
曲輪が「縄張り」を作る
曲輪(くるわ)の配置は縄張りと呼ばれます。
この縄張りのポイントは、城の周りの地形を利用して本丸を守ることでした。
それぞれの城が築かれた場所の地形に対応して縄張りが考えられました。
そのため、縄張りは城によって千差万別だったのです。
城の設計者たちは、
「どんな縄張りを作って本丸を守ろうか?」
と、必死で曲輪の配置に頭を悩ませました。
自然の力を利用した曲輪
まず、自然の力を利用して曲輪を配置します。
たとえば、山の地形を利用して攻撃を防ぐ。
山の稜線に山城を築いても出入り口が限定されて防御しやすいですね。
新発田城の例
また、新潟県の新発田城のように、湿地帯に築かれた城もありました。
新発田城は、3方向が沼地で囲われた土地を利用しました。
残りの1方向に出入り口をつくり、防御をそこに絞ったのです。
このような場合は、本丸と二の丸、三の丸を一直線に並べておけば十分防御が可能です。
※曲輪を一直線に並べる配置は「連郭(れんかく)式」と名付けられています。
人間の力を使った曲輪
自然の力を味方にしたら、そこに人間の手を加えます。
まずはお堀です。
自然の川を城まで引き寄せて何重にも堀を作る。
この堀を埋められてしまったことで落城したのが豊臣家の大坂城です。
また、城内の道は迷路になっていました。
間違った道を進むと行き止まり。
本丸にたどり着く道がどれだか分からない様にしたのです。
三の丸から本丸にたどり着くまで、グルグルと何周か回る道にすることも。
このような策を練りに練り、曲輪は配置されていったのです。