城・歴史

新発田城の復元!みんなの願いで計画を実行!

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「お城をもう一度!」

「私たちのシンボルを復元しよう!」

そんな願いがかなって、新発田城の2つの櫓(やぐら)が復元されました。

では、新発田城が復元されるまでには、どんな事があったのでしょうか。

この記事では、新発田城が惜しくも破却されてから、復元計画が実施されていくお話をさせていただきます。

それでは、

  • 新発田城の復元計画
  • 新発田城の復元が本格スタート!

という順で見ていきましょう。

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新発田城の復元計画

まず、新発田城の築城から破却までについてです。

そして新発田市民からは多くの

「新発田城を復元しよう!」

という声があがり、復元計画がすすみ始めるのです。

新発田城!築城から破却まで

まず、新発田城とは。

新発田城は、初代城主の溝口秀勝築城を始めました。

秀勝は尾張の国(愛知県)の溝口村出身で、豊臣秀吉の命で新発田にやってきた武将です。

そして、新発田城は三代目城主の溝口宣直1654年ころ完成させています。

それから時は流れ、明治時代

明治政府はお城の取り壊しを命じます。

新発田城には当時、11の櫓(やぐら)と5つの門がありましたが、ほとんどが壊されてしまいました。

なんとか残ったのは、二の丸隅(すみ)櫓表門の2つだけです。

重要文化財になった新発田城

また、時は流れて昭和32年

二の丸隅櫓表門重要文化財に指定されます。

二の丸隅櫓は二の丸にあり、表門は本丸の門です。

離れた場所にありました。

そこで、昭和34年

二の丸隅櫓は解体修理され、表門の近くに移転する作業が始まりました。

昭和35年には、二の丸隅櫓が表門と並び建つ状態になりました。

下の写真で、左側が移転後の二の丸隅櫓

右側が表門です。

表門前の橋を渡り、本丸の中に入ることができます。

3万人の署名

新発田城は、新発田市の方たちに親しまれ、

「さらなる復元を!」

という声があがっていました。

新発田城の復元を願う声は、3万人以上の署名が集まったことでもその期待の大きさが分かります。

三階櫓を復元しよう!

新発田城には本丸の役割を担っていた、三階櫓(さんがいやぐら)がありました。

この三階櫓と復元したい、という声が大きかったようです。

新発田城の復元計画

初代藩主の溝口秀勝が新発田にやってきて400年の節目。

新発田市が動きました。

平成11年から新発田城の復元事業がスタートしたのです。

まず、基本計画が練られます。

そして翌年の平成12年

新発田城の石垣が測量調査され、補強の計画が立てられます。

さらに年が明けて平成13年の1月30日。

三階櫓(天守閣の役割を持った櫓)の復元をイメージしたパネルが新発田市に贈呈されました。

新発田城を愛する市民団体からによるものです。

この年には、

  • 新発田市に学生から三階櫓の模型が贈呈
  • 「新発田城復元の会」という市民団体が設立

というように新発田城の復元への熱が高まっていきます。

新発田城の復元が本格スタート!

新発田城の復元にむけ、新発田市は三階櫓(さんがいやぐら)辰巳櫓(たつみやぐら)の復元のために

  • ①史料調査
  • ②発掘調査
  • ③復元図面の作成

という行動を精力的にとっていきます。

上の写真が三階櫓

下の写真が辰巳櫓です。

新発田城の復元にむけて

新発田城の復元に向けて新発田市が行った動きを見ていきましょう。

①史料調査

史料調査は、かなり詳細に知ることができました。

まず、明治期に撮影された古写真が多く残されていました。

当時の実際の写真から復元すれば良いので、かなり精度の高い復元になりますね。

次に、新発田市の図書館には新発田城の古絵図がたくさん保存されていました。

これで、櫓や門の配置図をしっかり把握できました。

また、図書館には古文書も多数存在していました。

この古文書には、三階櫓をはじめとする新発田城の建物のサイズが書かれていて大きな収穫となりました。

②発掘調査

発掘調査では、辰巳櫓の遺跡で多くの収穫がありました。

礎石(そせき)が当時のまま発掘されたのです。

礎石というのは、建物の柱を支える石のことです。

この石が全体の12個のうち11個もでてきました。

礎石が設置された場所は古文書と一致!

建物の入り口の場所も正確に確定することができました。

柱の下にあるのが礎石です。

現在は1つの礎石が展示用となっています。

本来はこの礎石の上に柱が建てられています。

③復元図面の作成

2つの櫓を復元するにあたり、

  • 実物大の柱
  • 実物大の梁(はり)

を組んだ状態で実際に重さを加えました。

加重しても建物が壊れてしまわないか実験して検証していったのです。

木材を上手く加工して、ボルトや釘を使わない工法で組んだ構造は、しなやかに変形。

建物の崩壊が防がれることが確認されました。

加えて、現存する二の丸隅櫓表門の内部構造も参考にして復元図面を作成したのです。

新発田城の復元がスタート!

平成14年になると、ついに三階櫓に加えて辰巳櫓復元工事がスタート!

平成15年には建物の大枠が組み終わり、上棟式を開催されました。

この日は雨天のなか、1,500の市民が集まりました。

平成16年には、待ちに待った新発田城の2つの櫓の復元が完了したのです。

重要文化財である二の丸隅櫓表門

右側に辰巳櫓

左側に三階櫓

が、威風堂々を鎮座しました。

美しい石垣の上に並ぶ櫓には、新発田市の未来に向けて10の「願い文」が刻印されているんですよ。

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