城・歴史

信長の城!安土城の歴史と天下取りへの想い

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「素晴らしい城が完成したぞ!」

織田信長の城には、天下取りへの想いが反映されていました。

信長が特に愛着を込めた安土城は、豪華絢爛

安土城の圧倒的な力強さと存在感は、戦国の歴史の終わりを世の人々に知らしめました。

「あぁ、信長様が天下を取ったのだ・・・!」

皆にそう感じさせる、天下統一を象徴する城だったのです。

・・・・・・・

室町時代や戦国時代までの城は、防御施設の役割が大きかったんです。

そのため、険しい山で立てこもるための小さな城を築いていました。

これは、山城と呼ばれる城郭です。

そんな中、信長は、

  • 高い石垣
  • 立派な天守閣
  • 城下町

という今までに見たこともない城を作り上げたのです。

そんな安土城の歴史を、信長の天下取りと平行して見ていきましょう。

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信長の城!安土城を作った背景

織田信長が安土城が築城された背景には、

「強大な城がほしい・・・!」

という想いがありました。

天下人たる信長の強さを、

圧倒的な城

で世の中に証明できるからです。

信長は天皇に認められた

時は戦国時代、1574年3月

信長は蘭奢待(らんじゃたい)を切り取り、手に入れることができました。

♦蘭奢待とは

蘭奢待とは、正倉院に納められている、最高級の香木です。

聖武天皇の時代(724~749年)。

大陸から伝来したとも言われる蘭奢待。

室町幕府の将軍でさえも、なかなか手に入れられませんでした。

信長の以前に切り取れた将軍は、100年以上前の足利義政にさかのぼります。

蘭奢待を手に入れた信長は、

日本一の実力者

と天皇に認められたのです。

このことは、信長が日本一の城を求める背景となります。

つまり、安土城の歴史のはじまりと言える出来事だったのです。

信長が長篠の戦いで勝利

1575年5月、信長は長篠の戦いに勝利します。

現在の愛知県にある長篠。

織田信長と徳川家康の連合軍は武田の軍勢を打ち破ります。

武田勢は完膚なきまでに叩きのめされました。

武田は多くの兵と家臣を失い、一気に衰退していきます。

東国の脅威を消すことに成功した信長は、一気に天下人に近づいていきます。

信長が領国を譲る

1575年11月

信長は、嫡男の信忠に家督自分の領国を渡しました。

信長が家督(家長権)を譲った、というと

「隠居します・・・。」

というように聞こえるかもしれません。

ところが、これは全くの逆

織田家は一大名として扱いに。

そして信長が日本の覇王として君臨する!

という意味なのです。

信長自身は岐阜の家臣(佐久間信盛)宅を仮の住まいとしました。

そしてついに!

信長は自分が日本一の強者であることを、日本一の巨大な安土城を使って世に知らしめます。

信長の城!安土城を作る

ついに、信長は自信最高の城作りに入ります。

信長の権威を知らしめる城を、安土に作ることが決まりました。

安土城の築城開始!

「安土に城を作るのだ!」

1576年、安土城の築城がはじまりました。

1月 信長の居城として安土に築城することが決定する

天下人となることを見据え、京都に近い場所を選んだと言われています。

安土は現在の滋賀県にあり、京都との直線距離はだいたい40㎞です。

安土城は、標高196mの安土山に作られていくこととなります。

2月 信長が安土に住み始める

安土城の工事期間、信長が住む屋敷の工事は、信長自らが指揮をとっています。

何でもできる人だったのですね。

4月 安土山に主郭部分の石垣作りが始まる

周辺の石工が集められ、城の石垣が作られはじめました。

城に石垣を本格的に使ったのは、安土城が初です。

安土城がきっかけとなり、石垣を使った城が普及していったのです。

9月 二条城(京都)の門を解体

安土城に使われる素材として、二条城の門を解体して安土に搬入されました。

安土城の歴史(1577年と78年)

1577年とその翌年の安土城の歴史はこちらです。

1577年6月 安土城下町の産業振興が図られる

信長は、城下町で商人が商売をしやすいようにしました。

商売の規制をとりはらい、税金もなくしたのです。

城下町が活性化しました。

1557年8月 安土城の天守閣の柱が立てられる

大きな天守閣を初めて作ったのも、信長です。

この安土城の天守閣にならい、以降の城も立派な天守閣をつくるようになっていきました。

ちなみに、安土城の築城当時は「天守閣」という言い方はされていなかったようです。信長は「天主」と呼んでいました。信長の影響を受けながら「天守」「天守閣」という呼び方が生まれたのだとか。

1578年1月 堺の豪商を天守閣に案内

信長は、堺(大阪府)の豪商である津田宗及(つだそうぎゅう)を工事中の天守閣に案内しました。

豪商に1万枚を誇る黄金を見せることで、財力を誇示したのです。

1578年3月 越後の勇 上杉謙信没

脅威とする武将が亡くなり、信長がまた一歩天下人に近づきます。

信長の城!栄華を誇った安土城

信長の作った安土城は、最も華やかな時期を迎えます。

安土城の天守閣が完成したのち、2年を経て安土城全体が出来あがります。

安土城の天守閣が完成!

1579年、安土城の目を見張るような天守閣が完成します。

1月 安土城の天守閣が完成

標高196mの安土山の上に築かれた、安土城の五重の天守閣の高さは30m!

五重の塔になっています。

現代の10階建ての高さに相当する天守閣が、城下町を見下ろしていました。

5月 信長が安土城の天守閣に住み始める

高層階に住んだのは、信長が日本初と言われています。

天守閣から下には本丸御殿、そして、信長の家臣や有力者たちの屋敷が並んでいました。

秀吉や家康、前田利家の屋敷があった、と推測されています。

安土城全体が完成!

1581年、ついに安土城の全体が完成します。

この年は安土城の歴史になかで最もたくさんのイベントが開かれています。

1月 安土での馬揃え

馬揃えは、騎馬の優劣を競わせるイベントです。

安土城の完成を祝い、城の近くで馬を走らせました。

2月 宣教師が安土にやってくる

宣教師であるヴァリアーノとフロイスが信長に会いました。

信長は宣教師を通じて、ローマ教皇グレゴリオ13世に安土山図屏風を献上しました。

時の天皇から

「その屏風が欲しい」

と言われても固辞していたほどの絵です。

この絵によって、安土城と信長はヨーロッパにも名を残します

「ヨーロッパのどんな建築物にも負けない素晴らしき城だ!」

と、感嘆されたのです。

安土城のいでたちを天守閣から家臣宅、堀や城下町に至るまで細かく描かれていたといいます。

♦安土城の見学が可能に!

この頃、安土城は一般の人々の参観が可能になります。

武士ではない民衆も安土城のなかに入り、見学することができたのです。

「こんな前代未聞の城があるのか!」

全国に安土城の豪華さと信長の権力が知れ渡ることになります。

観客の数は相当のものだったといいます。

7月 お盆の行事で安土城をライトアップ

現在私たちは8月にお盆の行事を行うことが多いですが、元々は7月15日前後の行事です。

このお盆の行事として、信長は安土城をライトアップ!

多彩な色の提灯で安土城を照らしたのです。

天守閣や本丸、安土山の中腹に建てた総見(そうけん)寺に色とりどりの提灯を。

そして、堀に浮かべた船も松明で照らしました。

城下町の明かりは全て消させました。

闇夜に輝く安土城です。

恋人達が手を握り合っていたかもしれません。

信長の城!はかなく散った安土城

歴史上最高の城とも言われる安土城。

この安土城の歴史は、信長と共にはかなくも終わりを迎えます。

信長と共に散った安土城

1582年、安土城は信長と共にその歴史の幕を閉じます。

1月 諸大名が安土城を訪れ、金をふんだんに使った天守閣の室内を見学する

この時、石垣が崩れる、というアクシデントが起こっています。

多くの人間が正月に来場しすぎたために、その重みで崩れてしまったのです。

信長のプレゼン力(りょく)が、安土城を予想以上の強力なテーマパークにしたんですね。

5月 朝廷が信長に「征夷大将軍・関白・太政大臣、どれでも推薦する」との使者を送る

5月29日 100人の家臣とともに本能寺に宿泊

6月2日 本能寺の変、信長失命

信長が倒れた時、安土城に残っている織田の軍勢はごく僅かでした。

「光秀に城を乗っ取られるよりも、燃やしてしまおうか?」

という意見がありました。

しかし、

「信長様が心を込めて築いた城を消し去ることは忍びない・・・。」

ということで、信長の妻や子は安土城から退却していきます。

6月5日 明智光秀が安土城に入る

光秀は安土城入りし、自分が天下を取ったことを周知の事実としました。

安土城の財宝を、秀光は家臣に分け与えました。

6月13日 羽柴秀吉が明智光秀を下す

光秀は兵力が万全ではなく、しっかりと軍を整えた秀吉に山崎合戦で敗北。

安土城に残った光秀の勢力も城を去ります。

6月15日 安土城の天守閣が炎上

安土城の天守閣が炎上しました。

今はその雄姿を見ることが出来ません。

立派な石垣でさえ崩壊してしまいました。

信長の夢が潰えたのと時を同じくして、信長の愛した天守閣も消え去ったのです。

天守閣の炎上した原因は、信長の次男の信雄によるものである、という説が有力です。

6月16日 秀吉が安土城に入城

ここから秀吉は天下を統一していきます。

姿を消した安土城

1582年以降、秀吉が天下を取るさなか、安土城はひっそりと姿を消していきます。

1583年 信長を弔う社(やしろ)が建てられる

秀吉が信長の一周忌にあわせ、やしろを建てました。

消失した本丸跡に建てられたやしろには、信長の遺品が収められました。

1585年 安土城の廃城

安土城から直線距離で5㎞ほどの近距離に、八幡山城が築城されました。

八幡山城の築城にあたり、安土城の

  • 石垣
  • 建物
  • 城下町

というものが一気に八幡山城に移動されました。

信長が築いた安土城の痕跡が消えていったのです。

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