城・歴史

藤堂高虎の城!その特徴が天守閣を変えた!

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三大築城名人として名高い藤堂高虎(とうどうたかとら)。

藤堂高虎の城が持つ特徴が、天守閣造りの手本となりました。

そして、後の天守閣のスタンダードとなったのです。

この特徴とは、新規の天守閣の建築方法です。

その方法で、巨大な天守閣が生み出されていきます。

では、高虎がどんな天守閣を生み出したのか、見ていきましょう。

  • 藤堂高虎の城の特徴
  • 既存の天守閣の実情
  • 新たな天守閣を生んだ技術

という順番でお話しさせていただきます。

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藤堂高虎の城の特徴

藤堂高虎の城の特徴には

層塔型(そうとうがた)天守閣の開発

ということが挙げられます。

天守閣は誕生してからしばらくは、望楼型(ぼうろうがた)と呼ばれる形でした。

下層階の建物の屋根の上に、望楼(物見やぐら)を乗せた形です。

下の写真のような天守閣です。

実はこの望楼型天守閣、建物のバランスがとりにくいものでした。

建築内部の構造も複雑。

そこに、藤堂高虎層塔型天守閣と呼ばれるシンプルな天守閣を生み出すのです。

次の写真で層塔型の天守閣を見てみましょう。

当時、高虎が築いた層塔型天守閣は現存しません。画像は層塔型天守閣の形状が分かりやすい島原城です。松倉重政が1626年に築城、明治時代に破却された後に1964年に再建されました。

望楼型に比べ、シンプルです。

層塔型はシンプルであるため、城造りが楽に、そして早くできるようになりました。

この藤堂高虎の城が持つ特徴は各大名にも伝わり、天守閣造りの主流となっていきました。

藤堂高虎の面目躍如

外様大名であったにもかかわらず、家康に重用された藤堂高虎。

高い城作りの力量を持っていた高虎は、徳川幕府の城作りの多くを任されたのです。

高虎は、家康を看取る枕元にいることまでも認められたんですよ。

天守閣の役目

ここで、天守閣そのもののお話しを少し。

天守閣は、お城のシンボルです。

城主の力を領地の内外に示す役割があります。

実用的な役目としては

  • 物見やぐら
  • 籠城による防御

という機能を持っていました。

◆「城」と「天守閣」

というのは、お堀の内側の空間の範囲のことを意味します。

そして、天守閣お城のスペースのなかで一番高い建物です。

物見やぐらですからね。

写真で見てみましょう。

赤いラインで囲まれている建物が、天守閣(層塔型)になります。

それでは、次は望楼型の天守閣の実情と、藤堂高虎が層塔型を可能にした技術を見ていきましょう。

既存の天守閣の実情

望楼(ぼうろう)型と呼ばれる天守閣。

これが、既存の天守閣の形でした。

望楼とは、遠くまで見るための櫓(やぐら)を意味する言葉です。

望楼型は、天守閣の前期形と言えます。

本格的な天守閣を初めて作ったのは、織田信長です。

それは1579年の安土城で、天守閣は望楼型でした。

望楼型は、信長が生み出した天守閣の形なのです。

望楼型の実情は「いびつ」

望楼型の天守閣、見栄えはとても格好いいです。

ところが、建築物としてはムリをしていたというのが実情です。

天守閣を支える土台となっている石垣。

この石垣は、天守台と呼ばれています。

この天守台の上に天守閣が鎮座するわけです。

ところがこの天守台、技術的にはまだ未熟でした。

◆石垣を積む技術が未熟だった

天守閣が生まれたばかりの戦国時代、石垣を積む技術はまだまだ未熟でした。

未熟な天守台は、天守閣を乗せる平面がいびつな形でした。

正方形や、正方形に近い長方形ではなかったのです。

そのため、天守閣の基礎部分や低層階もいびつな形になってしまうのでした。

いびつな建物の屋根の上に、物見やぐらを乗せたのです。

屋根の中央にめり込む様に、何とかバランスをとって乗せています。

新たな天守閣を生んだ技術

天守閣が作られ始めて約30年。

層塔型の天守閣は、1610年頃に藤堂高虎によって初めて作られました。

高虎がスッキリとした箱型の層が重なる天守閣を建てています。

高虎の技術が層塔型を生んだ

藤堂高虎が層塔型の天守閣を作ることができた理由。

それは、高虎が高度な石垣積み技術を持っていたからです。

高虎は、天守台の上部を、きれいな正方形や長方形にするととができました。

そのおかげで、天守台の上に建つ天守閣もきれいな四角形にできたのです。

当時、高虎が築いた層塔型天守閣は現存しません。画像は層塔型天守閣の形状が分かりやすい島原城です。松倉重政が1626年に築城、明治時代に破却された後に1964年に再建されました。

平べったい箱型の層は、上に行くほど小さくなっていきます。

天守閣は、物見やぐらですからね。

上層階を広くする必要はありませんでした。

巨大天守閣を層塔型で!

そしてこの層塔型天守閣によって、巨大な城を作ることが可能に。

基礎部分が強く、安定感がありますからね。

ちなみに、現存の天守閣で最も大きいものは、姫路城(1608年の望楼型)で31.5mなんですが・・・。

  • 名古屋城 1612年の層塔型で36.1m
  • 大阪城 1626年の層塔型で44m
  • 江戸城 1638年の層塔型で44.8m

という巨大な天守閣が作られたのです。

層塔型天守閣を豪華に!

藤堂高虎により、天守閣が層塔型で箱型にスッキリしました。

ところが、天下人の城はそれだけではいけません。

徳川幕府は、巨大天守閣の外側を豪華に飾りつけました。

徳川家の力と財力を世の中に見せつけたのです。

逆に、大名たちの城は徳川家との関係が遠ざかるほど質素な外観になりがちでした。

派手な天守閣では、徳川幕府に逆らう意思表示となるからです。

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